「笑えばかわいいのに」


 私に対してそう言い続けた男は、旅に出ると言い残してこの村を離れた。私は一度だって男に微笑を返すことも、可愛らしく素直に首を縦に振ることも出来ずに、その男と永遠に別れてしまうことになった。

 男はいつも油臭い絵の具の匂いを漂わせていた。不恰好なまでにひん曲がった指で、毎日何時間も筆を持った。一日中キャンパスを睨みつけては、生活をギリギリにまで切り詰めて貯めた金で買った絵の具で絵を描いた。太い指先と白く欠けた爪先は、自分のアカギレが目立つ手とそう変わりはしないのに、いつも嫌悪の対象だった。


 この指に、自分の爪ほども大きな宝石をつけた指輪を、いくつも連ねてみたいわ。

 冗談交じりに村娘たちと話していた言葉を聞いた男は、次の日に木の実で作った指輪を私に渡してきた。私は、馬鹿じゃないのと笑ってその指輪を受け取ることさえしてやらなかった。男が姿を消したのは、その明くる日の事だった。




 今ではもう、彼の名前すら思い出せない。私は隣村の農家の長男坊と結婚し、日々汗を流しながら6人の子供を必死に育ててきた。決して裕福な家庭とはいえなかったが、子供たちにはソレを差し引いてもあまりあまるほどの愛情を注いできたつもりでいる。その子供たちももう皆成人し、其々に家庭を持っていた。

 5人目の孫は、人一倍私に懐いていた。何をするでも、おばあちゃんおばあちゃんと私のアカギレの目立つ、分厚く硬い手を引いた。はいはいなんでしょうと言う声もだんだんと低くなり、最近では背を真っ直ぐ伸ばすことさえ出来なくなっていた。

 その孫が職に就いたという知らせを受け、その職場に家族で赴いてみることになった。街で一等有名な美術館の、警備員を任されることになったらしい。立派に成長したねぇと頭を撫でてやると、もうそんな年じゃないよばあちゃんと恥ずかしそうに隠れてしまった。

 大層立派な図書館の階段は、私の腰に少々きつすぎた。無理しないで、おばあちゃん。と3番目の孫と8番目の孫が両脇から支えてくれた。ありがとよと孫の手を借りながら、何とか必死に階段を上り詰めた。



 美術館の中は、まるで昔夢見ていたお城のようであった。若い頃、偶に通りかかったW弾き語りWが、言葉巧みに街や城の美しさを奏でていたが、そんなものはあるわけが無いと笑い飛ばしていた私の目の前に、今まさにソレほどまでに美しい城が見える。キラキラと天井で輝くシャンデリアを見上げ、目を細めた。60年も70年も昔、自分が言った言葉を思い出したからだ。

 この指に、自分の爪ほども大きな宝石をつけた指輪を、いくつも連ねてみたいわ。

 そんなものより大事なものを、知っていたつもりだった。彼がいなくなった後、必死に木の実の指輪を探したが、ソレはもう何処にも見当たらなかった。涙を流して後悔しても、もうその時には全て遅かったのだ。




「こちらが、この美術館のメイン絵画W太った婦人(レディ)Wでございます」

 入り口から案内をしてくれていた、年若い男性が一つの絵画の前で立ち止まり声も高々にそう言った。

「こちらは、今より40年程前に―――が描いた作品でして、その時はまだ無名だった―――が一躍脚光を浴びるきっかけとなった絵にございます。―――はその後10つも年の離れた女性と世帯を持ち―――」

 男性の声を右から左に聞き流しながら、私は食い入るようにその絵を見つめていた。絵の中の婦人(レディ)は、私に向かって手を振り、ウィンクをする。

「まぁ、この絵、おばあちゃんそっくりねぇ。」
「本当、母さんの若い頃そっくりだ。」
「そうなの?もしかしておばあちゃんだったりして!」
「まさか、おばあちゃんがこんなに綺麗なドレスを着ているところ、見たこと無いもの」

 息子や娘たちが、笑いながら孫に聞かせている言葉に、私はつい涙が滲んで俯いてしまった。その事に気づいた5番目の孫が、心配そうに背中を擦る。大丈夫だよ、大丈夫だよ、と孫に言うが、孫はまだオロオロと背中を擦っていた。やはり孫は、まだまだ孫である。


 金色の額縁で豪華に装飾された婦人(レディ)を見た。若い頃の自分の姿に、あの男の内緒のメッセージを受け取る。10本の指には、全て爪よりも大きな宝石がついている指輪がキラキラと輝いていた。




End


(eiko:07'02'05 ん?名前変換されてない?んなまさか!うふ!妄想っ子です。)